2008.4.26-27
MELL EXPO 2008報告
【プレゼンテーション、パネルディスカッション、総括ミーティング】
□プレゼンテーション(1)
"Digital Storytelling in Wales"
ギャレス・モーレス(イギリス、BBC『キャプチャー・ウェールズ』プロジェクト)
「すべての人びとに語るべき物語がある」
これが、ウェールズで行われているキャプチャー・ウェールズ・プロジェクトの最も中心に位置する。彼らが作ったデジタル・ストーリーは、BBCが有するプラットフォーム、すなわち、放送、ラジオ、ウェブなどによって公開されている。
デジタル・ストーリーとは、制作者自身のことを自分の写真と声と言葉を用いて2分で表現するフォト・ストーリーである。ストーリー制作には、コンピューターのスキルと、物語を語るスキルが必要である。後者の方が難しく重要であるにもかかわらず、重要視されにくいという問題がある。
デジタル・ストーリーテリングの試みは以下の効用をもたらす。
1)視聴者にとって
自分たちがきちんと表象されているという満足感がある。新しいコンテンツという感覚で見られる。
2)放送局にとって
地域のメディア・リテラシーを向上させ、視聴者たちにものを語るスキルを広められる。視聴者を理解し、コミュニティのグラスルーツ組織とネットワークを築くことができる。
3)制作者にとって
あらたなスキルを獲得し、制作することによる満足感が得られる。また、自らより真実に近い表現ができる。
デジタル・ストーリーは「より真実に近い」表現でもある。ガンについてのレポートも、ガンで子どもを失った母親が作るストーリーには、プロフェッショナルによる客観的取材では表現しきれない重みがある。
ウェールズの経験からアドバイスをすると、継続してやっていくということがとても重要であり、また難しいところでもある。「雪の結晶」式=芋づる式に人を集めてくること、参加する団体を増やしていくことが大事で、現実的にウェールズでは700人がBBCの指導のもとでデジタル・ストーリーを制作しており、 BBC意外の組織の指導による制作を含めると2000人が制作した経緯を持つ。なるべくたくさんのローカルの団体や組織にノウハウを伝授し、自律的に作品が作り上がるしくみを構築する必要がある。
また、ストーリーが鍵になるため、時に、創造性を生み出すようなルール −日本の俳句のような−を設定することも大事だろう。人びとが簡単に参加できるようなシステムやツールの開発も必要だ。ワークショップの期間や人数などによってもフレキシブルに対応できるような環境や、なるべく多様な人びとが集まれるような環境を設定することも大事だろう。(報告者:小川明子/メル・プラッツ運営メンバー)
キャプチャー・ウェールズについては以下を参照
http://www.bbc.co.uk/wales/audiovideo/sites/galleries/pages/capturewales.shtml
□プレゼンテーション(2)
"Media Education-Reflection of Thai Broadcasting"
ナナタン・ウォンバンデュ(タイ、チュラロンコン大学)
ナナタン・ウォンバンデュさんは、タイ国チュラロンコン大学のコミュニケーション・アーツ学部マス・コミュニケーション学科長を務めている。オリンピック中継など豊富な現場経験を背景に、番組制作指導をはじめ、大学における実践的な教育を積極的に推進している。
ナナタンさんのプレゼンテーションは、「大学におけるメディア教育は、その国のメディア状況を反映したものである」という認識に貫かれていた。考えてみれば我々は、タイのメディア状況についてほとんど知らない。ナナタンさんの報告は、そうした意味で新鮮であっただけでなく、我々自身が日本のメディア状況と実践・教育・研究活動の関係を振り返るための、貴重な示唆を与えてくれた。
タイのマスメディア(特に放送)の歴史と今日の状況は、日本のそれらと驚くべき対照をなしていた。特にラジオ放送の開始は日本の1925年に対し、タイは1927年。テレビは日本では1953年に始まったのに対し、タイは1955年とわずか二年の違いしかない。しかし、「言論の自由」と政府の介入に関する考え方については大きな違いがある。憲法で自由を保証することと、全6局のうち政府と軍で三局を所有しているということが両立している状況というのは、なかなか我々には想像しがたい。検閲の厳しさなども、こうした状況ならではのことなのだろう。
興味深い点は、こうした状況の中から生まれた大きな変化である。2000年前後から、コミュニティラジオが全国に広がりはじめ、現在3000局以上が活動している。この驚くべき数から、統制の働いているテレビに対して、いかに人々が自由な言論の場としてラジオに期待しているかがわかる。ラジオがテレビとほぼ同じ構造をもつ日本とは大きな違いである。一方テレビでも、近年パブリックアクセスチャンネルがスタートしたり、画面に視聴者の声が反映する仕組みが導入されたり、コミュニケーション環境の変化に敏感に反応している様子が目につく。
チュラロンコン大学のコミュニケーション・アーツ学部は、こうしたタイのメディア状況を反映して1965年に創設された。同じ「送り手育成」を標榜している筆者が所属する東海大学広報メディア学科の歴史とこれまたほぼ同じである。実地教育(インターンシップ)に大きな特徴があり、特に首都バンコクではなく、仕事の全貌を掴みやすく、また問題を抱えている地方の局で学ぶ方針をとっている点はよく考えられているといえよう。こうした実践的「送り手」教育は、チュラロンコン大学だけに限らず、タイのメディア系の学部では一般的なのだそうだ——社会学的研究が先行していた日本の大学の状況とは対照的である。
そのチュラロンコン大学のメディア教育も、2001年以降大きく変化し始めている。特にネット環境の広がりを反映したプロジェクト型の教育の導入に注目が集まっている。そしてこれまでの「送り手」教育中心の考え方の中に、どのようにメディア・リテラシーの概念をとりこんでいくかは大きな課題であるとのこと。いずれにしても、これからは視聴者を単なる「受け手」とみなさずに、視聴者と一緒に考え、問題を改善していく姿勢が必要で、そうした「送り手」の新しいチャレンジの中に、メディア・リテラシーが活かされていくべきであろうと考えているようだ。
タイでは、その放送の歴史を反映する形で、戦後早い時期にアメリカ型のメディア研究・教育が導入された。そして21世紀に入って、デジタル技術と市民のコミュニケーション環境の変化に晒され、それは大きな変化に直面している。その点では、日本と対比して類似点、相違点を極めて見出しやすい、互いを鏡として学びあえる関係にあると言える。その点において今回の出会いは大きな意味をもつものであったといえよう。(報告者:水島久光/メル・プラッツ運営メンバー)
□パネル・ディスカッション、総括ミーティング
北村順生ほか 2008メル・プラッツ事務局
(追ってアップします)