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2008.2.23

第6回公開研究会報告

■日 時:2008年2月23日(土)14時〜18時
■場 所:東京大学本郷キャンパス工学部新二号館9階93b
■参加者:約50名
■テーマ:「あらためてメディア・リテラシーを問う」

<タイムテーブル>
14:00 各テーマについて問題提起
15:00〜17:00 ディスカッション  
17:10〜18:00 各グループの発表

<グループディスカッションのテーマ>
●メディア・リテラシーという言葉、理論と思想
  問題提起:水越伸(東京大学)
  コーディネーター:伊藤昌亮(東京大学/ソフトバンククリエイティブ)
●学校教育での可能性と課題
  問題提起:北村順生(新潟大学)
  コーディネーター:村田麻里子(京都精華大学)
●マスメディア、ジャーナリズムとの関わり
  問題提起:境真理子(江戸川大学)
  コーディネーター:本橋春紀(放送倫理・番組向上機構)
●ポピュラー文化、メディア文化との関わり
  問題提起:ペク・ソンス(神田外語大学)
  コーディネーター:飯田豊(福山大学)
●ミュージアム、アート、デザインとの関わり
  問題提起:高宮由美子(NPO子ども文化コミュニティ)
  コーディネーター:宮田雅子(東京芸術大学)
●ワークショップの場づくりの方法、技術との関わり
  問題提起:水島久光(東海大学)
  コーディネーター:土屋祐子(慶應大学)

■概 要:

 


●メディア・リテラシーという言葉、理論と思想

メディア・リテラシーという概念の「広がり」と「深まり」、そして「方法」について議論してみたいという水越伸さんの提言を受けて始められたディスカッション。その主な論点を3つのキーワードから整理してみると……。第1は「循環」。ズタズタになっている社会にあらためて循環をもたらすための方途としてさまざまな領域で「リテラシー」の必要が叫ばれている。しかしその概念自体、さまざまな次元でズタズタになっているのではないか。第2は「多様」。メディア・リテラシーとは規範を学ぶことであると同時に規範をずらすことでもある。とくに後者の活動を通じてメディア社会の多様なかたちを探っていくことがクリティカルな見地から望まれるべきだろう。第3は「概念の概念」。では循環性と多様性を両立させるためにメディア・リテラシーの概念はどう定義されるべきか。そこに求められるのは厳密な概念規定ではなく、むしろメディア社会を生きていくための手がかりとなるような道具的なイメージだろう。抽象的なテーマだったにもかかわらず、議論が空転することなく、さまざまな見地からの多彩な意見が交わされたディスカッションでした。(報告者:伊藤昌亮/メル・プラッツ運営メンバー) 


●学校教育での可能性と課題

学校教育と「メディア・リテラシー」というお題は、往々にして「いかにカリキュラム化して評価するのか」という個別具体的な話になりがちである。しかし、多様な顔ぶれとなった今回は、むしろ学校や教育委員会の組織の話や「メディア・リテラシー」を学校で「教える」ことの難しさなど、制度や枠組みの話が多く出された。メディア・リテラシーと一口にいってもイメージは多様で共通認識をはかりにくいこと、そもそもカリキュラム化自体が困難であること、逆にカリキュラム化に成功した途端に極めて教条的なメディア・リテラシーになってしまうこと、テレビ局などとの外部連携の際には学校側が受け身になってしまいがちなこと。さらに、メディア・リテラシー教育が活性化するためには行政レベルの旗振りや予算の計上が必要だが、そこまで重要性が認識されていないことなども問題点としてあがった。結局、一人でがんばるしかなく、その際いまある枠組みをいかに戦略的に使えるかが鍵、といったような、個人の采配に頼らざるを得ない現状が浮き彫りになったことが、このセッションの成果でもあり、同時に行き詰まり感にもつながった。敢えて希望を見出すなら、学校に何らかの形で携わっている人々がこうした問題に意識的であるということが今後へつながる一筋の光といえるであろう。(報告者:村田麻里子/メル・プラッツ運営メンバー)


●マスメディア、ジャーナリズムとの関わり

このテーマに集ったのは、現役や元の放送局員など“放送関係者”ばかり9人。市民との壁を実感しながら、議論は始まりました。「“メディアリテラシー”という言葉が浮遊しているのではないか」という境真理子さんからの問題提起を受けて、実践の現場で、その都度意味の説明をしないと通用しないというもどかしさが表明されました。しかし、「メディアリテラシーは実践の方向性を照らす“トーチライト”」(駒谷真美さん、2月22日の民放連メディアリテラシープロジェクト報告会にて)という言葉が紹介され、一同納得。その後、送り手にとってのメディアリテラシーが議論となり、「ジャーナリズムの専門性はメディアリテラシーという基礎的素養の上に乗って、初めて成立する」「送り手は実践のための材料の宝庫(レアメタル鉱山!)のうえにいるのだから、これを市民に提供しなくては」という前向きなまとめで終わり、“壁”を超える方向性が見えた(?)セッションでした。(報告者:本橋春紀/メル・プラッツ運営メンバー)


●ポピュラー文化、メディア文化との関わり

このセッションでは広い意味での「異文化」を理解するための場づくりの可能性と課題、またこの「異文化」のあいだで浸透しているポピュラー文化をどう捉えるべきかというものであった。話し合いは「ポピュラー文化」の具体的な例をもって進められ、おもしろく盛り上がったが、それは大きな筋を欠けたままのものであった。特にポピュラー文化をこの研究会の大きな枠であるメディアリテラシーとどう関連つけ、これらをキーワードとして取り上げた当為性を説明できないままであった。
「メディアリテラシー/東京宣言」(2006年)を振り返ってみると「メディアリテラシーを、マスメディアがまき散らすポピュラー文化への批判的啓蒙的教育実践活動として捉えることの限界を感じて」と言った時以来、あまり議論が進んでいなかった。ポピュラー文化の是非ではなく、それらをメディアリテラシーの文脈のなかでどう捉え、どのような態度をとるかを鮮明にすることはこれからこの研究会で必要なことであるし、新たな発展への突破口になるはずである。(報告者:ペク・ソンス/メル・プラッツ運営メンバー)

ポピュラー文化とメディア・リテラシーとの関わりを考えるきっかけとして、「2ちゃんねる」、「ニコニコ動画」、「ケータイ小説」といった現代的な事象が次々と挙がるなか、参加者の活発な対話を生み出す触媒になったのは、なんと「ハーレクイン・ロマンス」。大衆性を象徴するメディアのひとつであるハーレクインを手掛かりとして、ドメスティックに展開しているケータイ小説の特徴などを引き合いにしつつ、あくまで参加者それぞれの経験(思い入れ?)にもとづきながら、メディアを介したポピュラー文化のグローバライズ/ローカライズのありようが熱く語られました。
やがて“メディアを介する”ということの意味合いが焦点のひとつになりました。文化がポピュラーであるというからには当然、何らかのメディアが介在していると捉えることができる一方、たとえば、暴走族やヒップホップのようなヤンキー文化、ある いはオタク文化のように、かつては(メインカルチャーに対する)サブカルチャーとして区別されていたものが、やがてメディアを通じて見せる/魅せることによって、あるいは当事者たちがみずからメディアを活用することによって、その局面が大きく変わったものもあります。
メディア・リテラシーとの関わりを考えるには、まず、このあたりの議論を整理し、より深めていくことが重要であると感じました。また、ポピュラー文化に関わる実践研究の展望については話題にすることができなかったのですが、それはすなわち、こ うした活動の厚みがまだまだ薄いことを示しており、文化が“メディアを介する”ということの捉えにくさと繋がっているのかもしれません。今日の対話がこうした議論を深めていく糸口になることを期待しています。(報告者:飯田豊/メル・プラッツ運営メンバー)


●ミュージアム、アート、デザインとの関わり

メディアリテラシーをめぐる周縁には、アートやデザインとの関わりは深く、メディアリテラシーの回路を拓いていくうえでミュージアムというパブリックスペースにおけるコミュニケーション・デザインについて議論を深めることをねらいとしました。このグループは、ミュージアムの管理運営に関わる人や、ミュージアムについて研究する人、ミュージアムでのワークショップを企画する人、来場者として鑑賞したり、ワークショップに参加している人など、ミュージアムとの関係は様々でしたが、コミュニケーション・デザインへの関心は深く、 熱心なディスカッションになりました。固定的な枠組みや閉塞した状況を変えていくためには、ミュージアムは、「送り手/受け手」 「専門家/非専門家」といったお互いの立場をずらしたり、組み替えたりする仕掛けをしていく場として大きな可能性があると感じました。(報告者:高宮由美子/メル・プラッツ運営メンバー)

文化的な施設をコミュニケーションのための場として活かすことについて議論を深めようというこのグループでは、まず参加してくださった方の自己紹介からディスカッションをスタートしました。集った方々の専門分野は異なれども、コミュニケーションと場についての思いには、共通する部分がたくさん。「一方向的ではないコミュニケーション」「理解しあおうとする文脈づくり」「ともに学ぶ/遊ぶ」「教えてもらうのではなく、表現することで理解する」「How toの連鎖をやめる」といったキーワードには、各自おおいに共感する部分がありました。テーマには「ミュージアム」という言葉が入っているものの、既存の「ミュージアム」の枠組みにとらわれないで考えていくこと、まずはコミュニケーションをどのようにデザインしていくことができるのか、と考えることが重要だと感じました。そのうえでミュージアムなどの施設と連携した実践をおこなうことができると良いのではないかと思います。(報告者:宮田雅子/メル・プラッツ運営メンバー)


●ワークショップの場づくりの方法、技術との関わり

本セッションは企業や大学、省庁など複数の業界に所属したことのあるメンバーが多く集まった。問題提起者からは、これまでの公開研究会で報告された哲学カフェを例とした「対話の場」やドキュメンタリチャンネルで提起された「表象の場」をどうつくればいいのか、技術や道具はどう使うのか、といった問いが出され、参加者はそれぞれの立場から自由に意見を出し合った。「ワークショップで番組制作をしてはどうか」というテレビ制作者の意見や、企業の方から「立場を忘れて本音で語れる場が必要」との声があがるなど、経験に基づくアイディアが次々と飛び出した。
その後、ポストイットに書かれたバラバラの考えを模造紙上で整理する中で、対話の場づくりに関する要点を抽出していった。(1)対話を生み出すしかけ(2)それを支える技術・道具(3)生み出されたものをどう広げていくのか、という3点である。さらに(1)について「対話には問いが必要」、という意見 が出ると、「その問いはどこから来るのか」「そもそも問いを共有してもらえるのか」という質問があがり、場自体のデザインだけでなく、場をいかに社会に埋め込むか、場の文脈のデザインに議論は展開していった。「これまでになかった所に場が必要」、「それは既存の分野の間にあるのではないか」、「それこそがメルプラッツの役割では」、などの意見があがったが、具体的な話となる前に時間(スタミナ)切れとなった。
自己紹介から始まり、個々の「具体」を共有することで「抽象」を生み出す、という議論の展開は非常に刺激的だったように思う。こうした「抽象」をまた「具体」へと戻すという協働の「場」が次のステージとして必要だと感じた。(報告者:土屋祐子/メル・プラッツ運営メンバー)




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